
宮古毎日新聞のコラムより
2021年09月23日
9月21日(日曜)の宮古毎日新聞コラム「行雲流水」を読んで
それが、どうしても頭から離れず、いろいろ思うことがありました。
『ぞうさん』
「1.ぞうさん、ぞうさん、おはながながいのね? そうよかあさんもながいのよ。
2.ぞうさん、ぞうさん、だれがすきなの? あのね、かあさんがすきなのよ。」
この歌の作詞者は「一年生になったら」や
「やぎさんゆうびん」の作詞で知られる詩人のまどみちおである。
平成6年には日本人初となる国際アンデルセン賞を受賞している。
作者は後日語っている。
「鼻が長いね」と言われて小象は「自分だけが不格好」なのかとは悩まず、
まるでほめられたかのように喜んで「母さんも長いのよ」と嬉しそうに言う。
それは、象が象として生かされることを喜んでいるからである。
大好きなお母さんと一緒であることの幸せが伝わってくる。
それは象の親子だけでなく多様性の肯定と、
繋がる生命に対する普遍的な賛歌であると言える。
作曲者は團伊玖磨(だんいくま)である。
彼は東京上野にある東京音楽学校の学生だったとき、
上野動物園前で「戦時殉難動物慰霊祭」をみた。
当時、動物園の大型動物は食糧難と空襲に備え(エサを切られて)殺害された。
象たちは芸をするとエサがもらえると思い、
最後まで芸をしようとしながら死んでいったという。
戦後、インドのネール首相から平和の使者として1頭の象「インディラ」が贈られてきた。
「ぞうさん」の詞を手にしたとき、團伊玖磨は即座に曲が浮かんだという。
團はこの曲を上野動物園の象舎の前で初演した。
『ぞうさん』がうたうのは
すべての命あるものの尊厳と、平和の尊さである。(空)
この物語にある象のトンキーが死んだのは昭和18年の今日、9月23日です。
今から78年前の出来事です。
当時は戦争で大変な世の中でしたが、今はコロナで大変な世の中です。
平和なように見えて、実は平和を実感できていない人が増えてきました。
私もこの小象のように生かされること、そのものを喜んで生きたいと思います。
大人の都合で子供たちの夢を閉ざすことのないようにしたいものです。
離島の離島にいる身ではあるけれど、
なにか自分に出来ることはないか、模索する日は続きます。
それが、どうしても頭から離れず、いろいろ思うことがありました。
『ぞうさん』
「1.ぞうさん、ぞうさん、おはながながいのね? そうよかあさんもながいのよ。
2.ぞうさん、ぞうさん、だれがすきなの? あのね、かあさんがすきなのよ。」
この歌の作詞者は「一年生になったら」や
「やぎさんゆうびん」の作詞で知られる詩人のまどみちおである。
平成6年には日本人初となる国際アンデルセン賞を受賞している。
作者は後日語っている。
「鼻が長いね」と言われて小象は「自分だけが不格好」なのかとは悩まず、
まるでほめられたかのように喜んで「母さんも長いのよ」と嬉しそうに言う。
それは、象が象として生かされることを喜んでいるからである。
大好きなお母さんと一緒であることの幸せが伝わってくる。
それは象の親子だけでなく多様性の肯定と、
繋がる生命に対する普遍的な賛歌であると言える。
作曲者は團伊玖磨(だんいくま)である。
彼は東京上野にある東京音楽学校の学生だったとき、
上野動物園前で「戦時殉難動物慰霊祭」をみた。
当時、動物園の大型動物は食糧難と空襲に備え(エサを切られて)殺害された。
象たちは芸をするとエサがもらえると思い、
最後まで芸をしようとしながら死んでいったという。
戦後、インドのネール首相から平和の使者として1頭の象「インディラ」が贈られてきた。
「ぞうさん」の詞を手にしたとき、團伊玖磨は即座に曲が浮かんだという。
團はこの曲を上野動物園の象舎の前で初演した。
『ぞうさん』がうたうのは
すべての命あるものの尊厳と、平和の尊さである。(空)
この物語にある象のトンキーが死んだのは昭和18年の今日、9月23日です。
今から78年前の出来事です。
当時は戦争で大変な世の中でしたが、今はコロナで大変な世の中です。
平和なように見えて、実は平和を実感できていない人が増えてきました。
私もこの小象のように生かされること、そのものを喜んで生きたいと思います。
大人の都合で子供たちの夢を閉ざすことのないようにしたいものです。
離島の離島にいる身ではあるけれど、
なにか自分に出来ることはないか、模索する日は続きます。
Posted by 西里長治 at 06:37│Comments(0)